17世紀のイタリア人画家 グイド・レーニ(Guido Reni)の作品『嬰児虐殺(幼児虐殺)』1611年です。
バロック期の巨匠カラヴァッジョ風の特徴と、ルネサンス期の巨匠ラファエロ風の特徴の両方を兼ね備えた作風が特徴です。個人的にはラファエロ風の印象が強いです。ふんわり、愛らしく、古代ギリシャのような理想的な描写をしているイメージがある画家です。
目次
『嬰児虐殺(幼児虐殺)』とは
新約聖書のエピソードです。『マタイによる福音書』2章 16節~18節に記されているお話で、イエス・キリストが受けた最初の迫害のくだりです。
英語では「Massacre of the Innocents」という言葉になります。(聖書用語)
さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。
マタイによる福音書 第二章
イエスが生まれまもない頃のお話。救世主の到来を恐れたヘロデという王様が、” 2歳以下の幼児を皆殺しにする “ という残酷な話です。
西洋絵画では、文字通り、沢山の幼子を虐殺するシーンが描かれることが多いです。この主題の有名作品にルーベンスやジョットがあります。
グイド・レーニの『幼児虐殺』は、ルーベンスやジョットに比べるとそれほど有名ではないと思いますが、女性たちの恐怖の表情や、動きのある描写、安定した逆三角構図が魅力的な作品だと思います。また、気になるポイントが2つあったので今回取り上げることにしました。
グイド・レーニの『幼児虐殺』
絵画の上部に気になる点が2つありました。それぞれ考察していきます。
気になるポイント① 天使の葉っぱ
天使が持っている植物と仕草の意味
一つ目が、画面上部のキューピットのような天使が持っている稲穂のような植物です。最初に見たときは稲穂に見えましたが、聖書に稲穂は登場せず、出てくるのは麦。では麦の葉…? これは何の植物で、なぜ地上の人々に渡すような仕草をしているのか気になりました。
調べたところ、musey.net さんのページに以下のような記載がありました。
暗くて重い建築物に囲まれた風景の前に、光を浴びた8人の大人と8人の子供(勝利のヤシの葉を配る翼の生えた裸の幼児パッティを含む)のグループがうまく配置されている。
嬰児虐殺
勝利のヤシの葉とは
聖書におけるヤシの葉とは?
ネットで調べたところ、このヤシの葉は「ナツメヤシ(しゅろ)の葉」であることが分かりました。
「しゅろ(棕櫚)」は聖書では比較的お馴染みの植物で、イエス・キリストがロバに乗ってエルサレムに入城した時に、人々が歓迎の印に手に持ったものとして「しゅろの枝」が登場しています。
また、旧約聖書の『創世記』に登場する「いのちの木」が「しゅろ(棕櫚)」だとする考えもあるそうです。ヤシの木がそんなキーアイテムだったなんて驚きです!
イスラエルでは、この〝しゅろ”は、旧約聖書の創世記にでてくる「いのちの木」をあらわす植物なのです。
月刊いのちのことば
聖書におけるシュロの意味とは
ネット上での情報は少なく、大雑把にいうと「祝福」「信仰の勝利」「いのち」のような意味だそうです。
実は『キリスト教シンボル辞典』というなんともオタクで素敵な本を持っているので調べてみました!
さすがキリスト教美術縛りの辞典です!「シュロの葉」と「シュロの木」の項目がありました!「シュロの葉」のイラストも絵の中の植物に似ています。
シュロ(なつめやし)の葉 本の解説
普遍的な殉教者のシンボル。シュロと殉教者との関係は、『ヨハネ黙示録』のつぎの一説、「だれにも教えきれないほどの大群衆が、白い衣を身につけ、手にはなつめやしの枝を持ち…彼らは大きな苦難を通ってきた者…」を典拠とする。(7,7-17)個々の殉教者は、シュロに加えて各々エンブレムを持つことがある。
キリスト教美術シンボル事典
なるほど、殉教者のシンボルなのですね!実際に『ヨハネ黙示録』の7章を読んで確認しました。
確かに「なつめやしの枝を持ち…」とあります。また、その後に続く「彼らは大きな苦難を通ってきた者で…」から、なつめやしの枝を手に持っている人々が殉教者だと分かります。
根拠が確認でき、「シュロの葉」「シュロの枝」は殉教者のシンボルということが私の中で決定しました!
この絵におけるシュロの葉の意味とは?
ということで絵に戻ってみましょう。
天使とシュロの描写は次のように解釈できます。
⭕️ 天使が沢山のシュロの葉を抱えている
意味:沢山の幼児が殉教したことを意味している。
⭕️ 天使が人々にシュロの葉を渡そうとしている
意味:ただ殺されたのではなく「殉教者」として命を落としたことを意味している。つまり、幼児たちの魂は祝福され、天国への扉が開かれている。
なるほど!
「子供たちは無駄死にではなく、信仰に殉じた殉教者として天国に迎えられるよ」という意味と解釈し、私の中では納得がいきました。
気になるポイント② 怪しい人影
二つ目が、後ろの建物の中にチラリと見える怪しい人影です。
拡大した写真がこちら↓
最初は、虐殺を命じたヘロデ王自身が建物の中で自ら子供に手をかけている様子かと思いました。でもよく見るとちょっと違う様子…。
左側の男性は使用人か兵士で、赤ちゃんを両手で持って右側の男性に差し出しているようです。(または動かないように取り押さえている?)
ヘロデ王かと思った右側の男性は、実はピエロのような高い鼻の付いた白い仮面をかぶっているようです。左手では赤ちゃんの首元をしっかりと押さえ、右手には剣のようなものを持ち、次の瞬間には振り下ろされそうです。(剣とかぶっているのは手前に描かれている男性の剣の先端です)
右側の男性、ヘロデ王でなければその辺の兵士でしょうか。手前に大きく描かれた人々と、建物の中に小さく描かれた人の遠近感・対比という意味かなぁと思ったりします。
という訳で、私の中では「ヘロデ王説」と「兵士説」の二つです。誰かはともかく、ひょいっと差し出された赤ちゃんが、次の瞬間に命を奪われる場面だというのは間違いなさそうです。
気になるポイント③ 怪しい人影2
この記事を書いている途中でもう一つ気になる部分を見つけました。
二つの腕が交差し、短剣が振り下ろされる一瞬。二人の女性が対角線へ(反対方向へ)逃げようとしている動作と緊張感あふれる場面の中に… 小さく描かれている二人の人物がいます。誰これ!
キリスト教がテーマの宗教画の中で、二人セットで描かれる組み合わせといえば「アダム&イブ」が定番です。二人は旧約聖書の登場人物ですが、『原罪を作った張本人』として、新約聖書をテーマにした絵画にもしばしば端役で登場します。
しかしこの二人の人物はなんとなく男性っぽい、また、二人とも服を着ている様子…。「アダム&イブ」は “ほぼ裸” で描かれるものなので、なんとなくしっくりきませんね。
こちらについては「アダム&イブ説」以外にアイディアなしです!ご存知の方がいたらぜひ教えてください。
以上、グイド・レーニ『嬰児虐殺(幼児虐殺)』の気になるポイント&考察でした。
ここからはこの絵とテーマについてもう少し深掘りしていきます。
この絵の好きなポイント
安定の逆三角構図
逃げまどう二人の女性と、短剣を振りかざす二人の男性、その下で呆然と天を仰ぐ赤いローブの女性を基準にした、逆三角▽の安定した構図です。
対角線への移動
右から左へ、左から右へ。ほぼ同じ高さの二人の女性が対角線上に移動しており、激しい動きを一瞬だけ静止させたような緊張感があります。
女性たちの表情
女性たちの表情の描き方、特に目元と口元の表現が秀逸です。不条理な暴力、それに対して何もできない無力さ。恐怖、無力感、絶望、喪失感が伝わってきます。
同主題の他の絵画は?
ルーベンス
『幼児虐殺』を主題とした有名な西洋絵画にはルーベンスがあり、2バージョンの作品を残しています。
1612年版の『幼児虐殺』。トロントのアートギャラリー・オブ・オンタリオに収蔵されています。
1638年版の『幼児虐殺』。ミュンヘンのアルテ・ピナコテークに収蔵されています。
ジョット
初期ルネッサンスの巨匠ジョットも描いていました!胸熱です! 1304年頃の作品で、イタリア、パドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂所で見ることができます。男たちの足元にゴロゴロと転がっている人形のような赤ちゃんの亡骸が痛々しいです。
いかがでしたか?今回はグイド・レーニ『幼児虐殺』の気になるポイントを追いかけてみました。楽しかったです!
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