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キリスト教における左右=善悪の意味と、”神の右に座す”はどっち側なのかを考えた

マレーシアからこんにちは!アンパンのAirbnbに滞在中のコニ(@koni_bali)です。

前回、『パリスの審判』クラーナハの解説記事を書きました。その後、書きたいテーマが出てこなかったのですが、これは面白いなと思うものを見つけました!

タイトルにある通り、キリスト教における左右という方向に対する善悪の意味付けと、聖書にたびたび登場する「キリストは神の右に着いた」という表現について考えてみたいと思います。

キリスト教における左右=善悪の概念、その根拠は?

キリスト教には「右=善、左=悪」の概念があります。(なので、正しくは左右=悪善ですね)

その具体的な根拠は聖書のどこにあるのか調べてみたら、思ったより沢山エピソードが見つかりました!

もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。

マタイによる福音書 5:29 口語訳

主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。

マルコによる福音書 16:19 口語訳

キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。

ローマ人への手紙 8:34 口語訳

それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。 ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言っている、 『主はわが主に仰せになった、 あなたの敵をあなたの足台にするまでは、 わたしの右に座していなさい』。

使徒行伝 2:33-35 口語訳

神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、 彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。

使徒行伝 2:33-35 口語訳

・・・このように目、頬、場所と、バリエーション豊富に左右=善悪について語られています。上記のエピソードを根拠に、キリスト教では左右と善悪が結びついているのだと思います。

一つ面白く思ったのは、上記エピソードは全て新約聖書であること。旧約聖書における左右=善悪のエピソードは見つかりませんでした。当初には無かった後発の概念なのでしょうか。

左右=善悪の概念がよく分かる「最後の審判」

左右=善悪の概念が分かりやすく見てとれるのが「最後の審判」を主題にした絵画です。

最後の審判とは、世界の終焉後に人間が生前の行いを審判され、天国か地獄行きかを決められるという信仰です。

「最後の審判」を主題にした絵を見てみると、必ず、天国は神から向かって右、地獄は神から向かって左に描かれています。「最後の審判」は巨匠たちの作品も多いので見応えがありますよ!ここでは3作品を紹介します。

ミケランジェロ「最後の審判」

1541年

フラ・アンジェリコ「最後の審判」

1430年

ヒエロニムス・ボス「快楽の園」

ヒエロニムス・ボス「快楽の園」高解像度
1504年

いかがですか?私たちから見て左手に天国が、右手に地獄がある構図が共通しています。この逆バージョンは私は見たことがありません。

ところで、他の宗教ではそういう考え方あるの?気になったので調べてみました。

キリスト教以外の宗教で左右=善悪の概念は?

ヒンドゥー教:強くある

長年住んでいたバリ島はヒンドゥー教でした。バリ島では「左手はトイレで使う不浄な手。左手で握手したり、子供の頭を撫でてはいけない」という常識があり、移住してすぐに教えてもらった基本的な注意点の一つでした。

ヒンドゥー教では、右手は神聖な手、左手は不浄な手とされています。食事を提供する際には必ず右手を使いましょう。

https://kjtimes.jp/culture/countries/0073/

イスラム教:強くある

新約・旧約を聖典とするイスラム教にも、「左右」と「浄」や「善悪」の関連性があります。手そのものに浄・不浄の区別はないものの、概念としてポジティブなものは右で、ネガティブなものは左で対応するのが慣例となっています。

『岩波イスラーム辞典』

P943 「右・左」
「イスラームでも、右・左の、優・劣、吉・凶、浄・不浄などとの対応、右の優位性がみられる。」
「日常生活のなかでも、食事の折には右手を使い、排泄時などには左手を使うため、右・左は浄・不浄に対応している」

イスラム教の「不浄の手」について書いてあるものは何かないか。

『新イスラム事典』

P283 「食事」
「不浄な左手を用いてはならず、右手の親指・人差指・中指の3本を用いて食べることがよいとされている。」
P469 「右と左」
「ムスリムの右手優先の思想はコーランによって規定されている」
「左手は用便をする時に用いる不浄な手と考えられている」

イスラム教の「不浄の手」について書いてあるものは何かないか。

仏教:弱くある

インド発祥でヒンドゥー教との融合も見られる仏教でも、同じような思想があるという記述を見つけました。

仏教では右手が仏様の世界(極楽浄土)を、左手が現世(衆生:しゅじょう)を表しており、両手を合わせることで仏様の世界と現世が一体となり、成仏を願う気持ちを表しているのです。

https://www.sougi.info/column/column_137

つまりは仏さまの右手と、そして左手の私(人間)が胸の前で一つになり、仏さまと繋がる姿勢が「合掌」という姿であり、左手にお念珠を持つというのも、不浄な私がお念珠によって導かれ、仏さまと出遇う尊い仏さまの道具(仏具)としての役割がお念珠であります。

https://kokotomo.net/2013/07/1677

私自身の意見ですが、日本人的観点から見ると、左右と善悪の概念はほとんど無いように思います。右手と左手の意味なんて今日初めて知りましたし、過去を振り返っても「あ、左手使っちゃダメ!」という場面に遭遇したことはありません。

仏教のプロであるお坊さんなら、左右と善悪のエピソードを知っているかもしれません。出会うことがあったら聞いてみたいです!

ユダヤ教:なし???

キリスト教、イスラム教とルーツを共にするユダヤ教も同じかな?と思ったのですが、ユダヤ教における「左右」と「浄不浄」や「善悪」に関する情報は見つけられませんでした。知っている方がいたら教えて欲しいです!

結論:ほとんどの宗教で左右と善悪は結びついている

上記の結果から、ほとんどの主要な宗教で、左右=善悪の概念があることが分かりました。

「神の右に座る」とはどっち側なのか

左右=善悪の概念を確認したところで、本題です。

先に紹介した通り、聖書の中ではたびたび「イエスは神の右にすわられた」「私の右に座していなさい」と、に座らせたことが書かれています。

しかし右というのは相対的な方向ですから左右どちらにもなり得ます。神様を正面から見た時の右側なのか、神様目線で見た時の右側なのか・・。どっちなの!?と気になりますよね。

神様から見て右側だと思います

私自身の考えでは、神様から見て右側(神様を正面から見たときには左側)ということで間違いないと思います。

理由は二つ。

① 神様は神様目線で話すと思う

キリスト教において神は創造主である唯一無二の絶対的な存在です。その神が人間から見て右側、などという人間目線に立った言葉を発する訳がないから。神が「私の右に座していなさい」というのは間違いなく神様目線で右側、ということだと思います。

② 「最後の審判」の絵がそうだから

上に紹介した作品を見て分かる通り「最後の審判」では、キリストから見て右側が天国=善、左が地獄=悪という設定になっています。このルールが適用されると思います。

仮説が立ったところで、西洋絵画で答え合わせをしてみました!

『三位一体』や『最後の審判』などの主題から神とキリストが並んでいる絵を探してみました。ただ、西洋名画レッスンをしている私が知る限り、神とキリストを並んで描いた有名な絵画はありません。やはり最初はなかなか出て来ませんでした。

そこで、検索ワードを英語に変えるなどしてじっくり探したところ、マイナーな絵画ではありますが、神とキリストが並んで描かれている作品を見つけることができました!

神様とキリストが並んでいる絵

ピーテル・デ・グレバー (キリストは右)

ピーテル・デ・グレバー(Pieter Fransz. de Grebber) 「キリストに王位に座るように示す神」1645年
ピーテル・デ・グレバー(Pieter Fransz. de Grebber) 「キリストに王位に座るように示す神」1645年

絵に向かって左が神、右がキリストです。一見、神から向かって左手にキリストがいるようにも見えますが、神は右手で「ここに座るように」とジェスチャーをしています。この後、キリストは言葉に従って神から見て右側に座るのは確実です。

ヘンドリック・ファン・バーレン (キリストは右)

ヘンドリック・ファン・バーレン (Hendrick van Balen)「三位一体(Trinity)」1620年
ヘンドリック・ファン・バーレン (Hendrick van Balen)「三位一体(Trinity)」1620年

絵に向かって左がキリスト、右が神。神から見て右側にキリストが座っています。この絵画は「三位一体」を表しています。三位一体とは、神・キリスト・聖霊(キューピット)の3つを表し、それらが本質的には一つであるという考え方です。

ルカ・ロセッティ (キリストは右)

ルカ・ロセッティ(Luca Rossetti da Orta)「三位一体(Trinity)」1739年
ルカ・ロセッティ(Luca Rossetti da Orta)「三位一体(Trinity)」1739年

同じく「三位一体(Trinity)」を描いたこの絵画でもキリストは神から見て右側に座しています。聖霊はキューピットではなく白い鳩で表現されています。

シュテファン・ロッホナー (キリストは左)

シュテファン・ロッホナー(Stefan Lochner)「最後の審判」 1435年
シュテファン・ロッホナー(Stefan Lochner)「最後の審判」 1435年

キリスト左派の絵もありました!

上半分を見てください。赤い衣を着た神から見て右手に聖母マリアが、左手にキリストが位置しています。制作年は15世紀、時代は初期ルネッサンスにあたります。昔は左右=善悪の概念が薄かったのでしょうか?

画家は、この構図を考えたときに配置に悩まなかったんでしょうかね。気になります。

ラファエロ (キリストは下)

ラファエロ(Raffaello)「聖体の論議」1510年

最後に、ラファエロの絵から、キリストが下ポジションにいる作品です。「キリストは神の子」と呼ばれているので、神の真下にキリストが位置するのは自然に思えます。キリストの左右にいるのは、キリストから見て右手が聖母マリア、左手が洗礼者ヨハネですね。

地位としては マリア > ヨハネ となるので、それを意識してのマリアの右配置でしょうか?

結論:神様から見て右手、に一票!

いかがでしたか?

私自身は、キリストが座ったのは神様から見た右側だという結論に至りました。

方向という人間的な視点と、善悪という観念が結びつく問題、とても面白いと思います。「私はこう思う!」という意見があればTwitterでお知らせください。

この記事を書きながら気になったポイントはこちら。機会を見つけて調べたいです!

  • 旧約聖書には、左右=善悪の概念を示すエピソードはないのか?
  • 仏教にも、私が知らないだけで、左右=善悪の概念があるのか?
  • 日本でも一昔前は左ききの方は差別されていたそう。宗教的理由と関連があるのか?

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