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【碌山美術館(安曇野)を紹介】アート女子が見どころ作品を解説するよ

碌山美術館の見どころと作品解説

碌山美術館とは?

碌山美術館

長野県安曇野市穂高にある彫刻家・荻原守衛(碌山)の美術館です。

荻原守衛は1879年生まれ〜1910年に死去。安曇野に生まれ、アメリカとフランスで学び、わずか30歳の若さで世を去った荻原守衛の人生と作品について知れる小さな美術館です。

日本近代彫刻を代表する芸術家で、ロダンに認められた弟子としても知られています。(ロダンは近代彫刻の3巨匠の一人)

「荻原守衛(碌山)」と表記されていますが、守衛(もりえ)が本名で、碌山(ろくざん)が号…ニックネームのようなものです。

30歳で亡くなった後、作品と資料の保存および公開を目的として家族によって1958年に開館したのがこちらの美術館です。

碌山美術館では、碌山と関係の深い芸術家たち(高村光太郎、戸張孤雁、中原悌二郎など)の作品が展示されている他、碌山の作品と切り離せないミューズ・相馬黒光(そうまこっこう)の人生や二人の関係についても解説されています。

クラシックな碌山館
クラシックな碌山館

緑あふれるクラシックな敷地内には4棟の展示棟があります。

レンガ造りの教会のような「碌山館」はマストなフォトスポット。ユニークなベンチが点在している庭も美しく、フォトウェディングが撮れそうな素敵な空間。四季折々に移り変わる表情を楽しめます。

碌山美術館の見所は?

じっくり鑑賞したい代表作はこちらの3つ。すべて展示棟「碌山館」で観ることができます。

  • 《女》1910年(重要文化財)
  • 《デスペア》1909年
  • 《文覚》1908年

最も有名な作品は《女》1910年。国の重要文化財に指定されています。

制作年から分かるように、この3つの作品は1908年〜1910年まで1年ごとに制作されました。

どれも碌山が恋した叶わぬ相手、相馬黒光(そうまこっこう)への想いから生まれたと言われています。

館内の解説を読めば『愛の彫刻家』と言われているのも納得です!

▶︎ Wikipedia – 相馬黒光について

《文覚》1908年

《文覚》1908年 正面

文覚(もんがく)という僧の胸像です。文覚は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて実在した武士・真言宗の僧でした。

この作品のどこが愛と関係があるのか?

文覚は従兄弟で友人の妻に恋をし、誤って殺してしまった人物です。碌山が恋をした相馬黒光は、碌山のパトロンで同郷の先輩である相馬愛蔵の妻でした。碌山は文覚のエピソードに自分の状況を重ねたと言われています。

《文覚》1908年 横から
この角度が一番好きです
《文覚》1908年 後ろから
《文覚》1908年 表情

《デスペア》1909年

《デスペア》1909年 横

《文覚》の翌年に完成した《デスペア》は女性の絶望を表現した彫刻作品です。

女性の顔は見えませんが、地に突っ伏して慟哭する様子、首や背中の造形からこの女性の絶望感が伝わってきます。このモデルは相葉黒光だと言われています。

相葉黒光は夫と共に事業を起こした実業家で幼い頃から才女として知られていましたが、その境遇は子供時代に次々と家族に死に立たれた苦労人。また、作品が制作された当時は夫の浮気に悩んでいたそうです。碌山はその事情を知り、陰ながら黒光を支えていました。

碌山が表現したのは黒光の家族に先立たれた絶望か、夫との関係性による絶望か、どんな絶望だったのでしょうか。

《デスペア》1909年 正面
背中から首へ流れる背骨や筋肉の造形が美しいです
《デスペア》1909年 横

《女》1910年

《女》1910年

そして《デスペア》の翌年に制作されたのが《女》です。

作品《女》は黒光ではない別の女性がモデルを務めたことが分かっています。しかしモデルの女性と黒光の写真を見比べてみると、顔立ちは明らかに黒光に似ています。

また、黒光自身が「この作品を見た瞬間、これは私だということが分かった」と言っていること、碌山の友人たちが「これは黒光だ」と言ったことなどから、別の女性をモデルとしながらも黒光への想いが投影されていると言えそうです。

手を後ろ手に縛られた女性は苦しそうな姿勢をとりながら膝を立て、顔を上に向けています。

その顔は、悲しみ、安堵、平安、苦痛からの解放など、色々な表情に受け止めることができます。碌山は黒光への愛情や苦しみ、叶わぬ想いをこの作品に昇華させたと言われています。

《女》1910年 横顔
《女》1910年 後ろ姿
《女》1910年 表情
なんとも言えない表情

ここまで紹介したこの3つは「碌山の愛の3作品」などとも呼ばれているそうです。

ここからは、個人的に印象に残った他の作品を紹介します。

  • 《坑夫》1907年
  • 《労働者》1909年
  • 《北條虎吉像》1909年(重要文化財)

《坑夫》1907年

《坑夫》1907年 横顔

最初に紹介した《文覚》の前年、フランス留学時代にアカデミー・ジュリアンで制作した作品です。

碌山はこの作品をフランスに置いていくつもりだったのが、友人の高村光太郎に「これはぜひ日本に持ち帰るべきだ」と言われ持ち帰ったというエピソードがありました。翌年の《文覚》に通じる力強さを感じます。

《坑夫》1907年 表情

《労働者》1909年

《労働者》1909年

《デスペア》と同年に作られた作品。碌山美術館の中で唯一、庭に展示されています。

師匠ロダンの代表作《考える人》を彷彿させる構成です。労働の合間の休憩時間なのか、一日の厳しい労働が終わった後なのか。頬杖をついてぼうっと遠くを見つめる眼差しが心に残ります。周囲には静けさが漂い、取り囲む木々に引き立てられ存在感を放ちます。

どうして片腕が無いのか説明はありませんでしたが、アートの世界で「未完の完」という言葉があるように、この作品も腕がないことで完全になっているように感じます。

《労働者》1909年 表情

《北條虎吉像》1909年

《北條虎吉像》1909年

北條虎吉は確か某企業の経営者だった人物で、他界してから周囲の人によって碌山に胸像製作の依頼が来たそうです。

直接知らない会ったこともない人物なのに、包み込むような優しい眼差しや、深い精神性を感じさせる表現が見事。まるで生きているように北條虎吉のオーラ、人となりが伝わってきます。真面目で温かい人物だったんだろうなぁ…という思わせる作品です。

《北條虎吉像》1909年 正面
《北條虎吉像》1909年 横顔
横顔がとても美しい作品です

所要時間

アート好きカメラ好きの私の場合は2時間半の滞在でした。

館内や休憩室に碌山の人生・作品を解説している小冊子が置いてあります(ミュージアムショップで350円で購入できます)。

館内に置かれている小冊子

それが面白くて、読んでいたらあっという間に時間が・・。オタクでは無い一般の方で、さらりと見るくらいなら20〜30分くらいだと思います。

外のベンチもとても気持ちいいので、風に吹かれて休憩したり、読書するのもおすすめ。

カメラ好きの方へ

代表作が集まる碌山館は撮影自由です。嬉しいですね!胸像が並んだ様子や昔の書斎のような写真が撮れます。他の展示棟は撮影NGの所もあったので案内をご確認ください。

レンガ造りでツルに覆われた碌山館も必撮です。

煉瓦造りでツルに覆われた碌山館

心なごむ空間が広がる敷地内。私は35mmレンズを持っていきました。

美しい景色が広がる敷地内

施設案内

入場料700円
お手洗い
休憩室
ショップ
無料駐車場
ロッカー×
フリーWiFi×
カフェ・レストラン×

いかがでしたか?

安曇野に生まれ、わずか30歳の若さで世を去った荻原守衛の人生と作品について知れる美術館でした。

入場料700円は美術館の規模や作品点数と比べると少し割高な気がしますが、建物や庭の雰囲気がとても素敵なのでいいかな!と思います。紅葉の時期にまた行ってみたいです。

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