長野の実家でノマド中のKonishiです!
先週、大好きな縄文土器を堪能しに長野県立博物館に行ってきました。
目次
長野県立歴史館とは
長野県千曲市、森将軍塚古墳と同じエリア内にある歴史博物館。1994年に開館しました。長野県の先史時代から近代まで時代毎に展示室が分かれ、文化や歴史、当時の暮らしを学ぶことができます。
実家から車で15分の距離ですが、地元でも存在感が薄いので「古墳の近くになんかある大きな建物」くらいに思っていました。去年森将軍塚古墳に行ったついでに寄ってみたら思った以上に楽しくて驚きでした。
縄文土器を堪能できる場所
長野市歴史博物館の一番の魅力は縄文土器と弥生土器です!!何度観ても造形の美しさに驚かされます。
よく見ると「複製」と書かれているのも多くちょっと残念ですが、希少性を考えると仕方ないのかもしれません。
東京国立博物館に行けばオリジナルの縄文土器が沢山観れますが、あまり気軽に移動できない現状で近所で土器鑑賞できる場所があるだけでも嬉しい!
先週また行ってきたので、撮りたての写真と共に主要な縄文土器・弥生土器を一挙にご紹介します!
常設展
今回ご紹介しているものは全て常設展なので常時鑑賞できます。先史時代→近代へと時系列に沿って回る順路になっています。
先史時代
資料によると、現在の長野県のエリアには紀元前3万5千年前から人が住んでいた可能性があるそうです。
こちらは野尻湖エリアから発掘されたナウマン象の模型。動きます!
飯田市竹佐中原遺跡から発掘された先代一期の石器群(模型)。長野県の先代一期は3万5千年以前の事で、大形の薄片に簡単な加工を施して作った石器を使っていたそうです。
木の棒に先にくくりつけて使った石槍や、物を削ったり切るのに使われていた削器、掻器の展示。
それぞれの道具の使い方。狩猟した動物を解体したり、動物の皮をなめすのに使われていたようです。
刃物として使われた黒曜石の塊と石片。
縄文時代
貝殻条痕文土器
縄文時代 早期(BC 5500年)
貝殻条痕文土器(かいがらじょうこんもんどき)は縄文土器に見られる様式の一つ。土器の外側・内側に付けられた平行する細い筋が特徴です。木片や貝殻を使って条痕(筋目)模様を付けていたそうです。
表裏縄文土器
縄文時代 創期〜記早期
表裏縄文土器(ひょうりじょうもんどき)は縄文土器に見られる様式の一つで、土器の外側・内側に見られる縄文を回転させて付けた模様が特徴です。
羽状縄文土器
縄文時代前期 (BC 4000年)
羽状縄文土器(うじょうじょうもんどき)と呼ばれる形式です。右撚りと左撚りの二つの縄を交互に転がすことで、羽のような模様が表現されています。
縄文時代前期には尖底土器(せんていどき)が多く見られますが、定住が進むとともに姿を消し、後期には平底土器にとって変わります。
深鉢形土器
台付深鉢形土器
ひときわ目立っていたこの土器。どう見ても日常使いでは無さそうなので祭礼用でしょうか。造形がかっこよすぎる!
動物装飾付釣手土器
うさぎ?カメ?可愛らしい小動物のような飾りが3箇所に付いた土器です。一風変わったデザインでこちらも素敵。
蛇体装飾付深鉢形土器
蛇さんの頭が付いた土器です(写真左側)。ボケてしまいました…
台付鉢形土器
縄文時代 中期 (BC 2900)
中空の円文(えんもん)とコイル状の飾りが極度に発達し、台を付けて目立つようにしている土器です。
このような様式の土器は長野県の北部〜中部の大きなムラからごく少数だけ見つかっているそう。当時の有力なムラだけがこういった装飾性の高い土器を持つことができたんですね。
長野県中部から発掘された縄文土器
三形とう形土製品
東北地方〜北陸で作られていたもので信仰に関わる品だそうです。長野県でも少数発見されており、千曲川を介して(船で?)流通していたことが分かります。
人面付釣手土器
取手の真ん中に人の顔がついている土器。縄文土器はこういうユーモラスなセンスも魅力ですよね!取手に4箇所付いている橋?のような飾りが手みたいに見えます。
小さな人形土器
5〜6センチの色々な人形土器(?)の顔や体の一部。どれも個性ある!
名無しの土器
波・風のような曲線の装飾が美しい土器。これは確か複製だったと思います。
縄文人の子供の人骨
縄文時代 後期(BC 1500)
安曇野市北村遺跡で発掘された、推定年齢12歳の子供の骨。
身長は103センチで性別は分からないそうです。骨盤の左側にイノシシの牙が乗っている状態で発見されました。おそらく装身具だとうことです。
土偶の上半身
縄文時代後期
人骨と同じ、安曇野市の北村遺跡で発掘された土偶です。ポカーンと口を開けた表情がかわいい!FFのサボテンダーを思い出しますよね。←
仮面の女神
縄文時代 後期(複製)
茅野市中ツ原遺跡で発掘された女性の土器。仮面をかぶっていることから「仮面の女神」と呼ばれています。土偶としては大きいサイズでほぼ欠損がない状態で発見されました。乳房はありませんがおへそと女性器が表現されています。
弥生時代
弥生時代です!長野県ではBC 300頃に集落が作られ、稲作が伝わったとされています。村の周囲には水田が広がり、ムラから離れた場所に墓地が作られ、縄文時代とは違った景観が出来上がりました。
弥生土器とは
今から2500年〜1700年前の弥生時代に作られていた土器の総称です。800度前後で野焼きして作る点は縄文土器と同じですが、より薄く硬いものが作られるようになりました。土<貯蔵用、煮炊き用、盛り付け用>の3つが基本セットになります。
貝殻条痕文土器
栗林式土器
石包丁
稲作の伝来とともに日本に持ち込まれた石包丁。磨製と打製の2種類があります。磨製石包丁は下の画像に見られるように1〜2つが空いており紐を通して使っていたそうです。
箱清水式土器
弥生時代 後期
長野市篠ノ井から発掘されました。真横から眺めたくなる美しいフォルムと、土台が三角にくり抜かれているところがお洒落!
縄文人と弥生人の顔!
このパネルが面白かったです(笑)彫りが深くて鼻が大きて眉間が狭いソース顔の縄文人と、薄くてシュッとしているしょうゆ顔の弥生人のイメージです。全然違うがな!!
土偶形容器
弥生時代 中期|上田市 淵の上遺跡
顔に入れた墨(鯨面)を表現した土偶形の入れ物が誕生します。こちらの土偶は遺骨を入れるため、つまり骨壺だったと考えられています。こんなスタイリッシュな骨壺作っちゃうなんてすごい!
人面付土器・人形土器
弥生時代は死者を埋葬する特別な道具として土器が使われるようになります。容れ物としての性格が強いのが特徴です。
銅鐸
弥生時代 後期|塩尻市柴宮遺跡(複製)
出ました!弥生時代といえば銅鐸!日本の中でも特に近畿地方で多く出土しているそうです。
当初は「鐘」として使われていましたが、次第に信仰の道具として大型化し、鐘としての当初の機能は無くなった…というのが一般的な仮説ですが、鳴らない銅鐸が何のために使われていたのかという明確な答えは出ていません。ロマンです!
利用案内
開館時間
3月~11月:9時~17時(入館は16時30分まで)
12月~2月:9時~16時(入館は15時30分まで)
休館日は毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)」
入館料
常設展 300円
企画展 300円
常設展+企画展のセット 500円
まとめ
いかがでしたか?
長野県立歴史館に展示されている主要な縄文土器・弥生土器をまるっとご紹介しました。
展示は弥生時代の後も時系列に続き、近代までの長野県の歴史や文化を楽しく学ぶことができます。製蚕工場の様子が詳しく紹介されてたのも面白かったです!
土器好きの方におすすめの長野県立歴史館。入館料が300円とプチプラなので定期的に土器たちを愛でに行きたいと思います!♡
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