目次
エルコラーノとは?
エルコラーノ(イタリア語: Ercolano)はイタリア・ナポリ近郊の街。ナポリまでは電車で20分ほどの距離。古代ローマ時代の遺跡が有名で、ポンペイと並んで世界遺産に登録されています。
エルコラーノ遺跡とは?
現エルコラーノにある古代ローマの町の遺跡。当時の名前はラテン語で「ヘルクラネウム(Herculāneum)」といい、それがイタリア語化して「エルコラーノ」になりました。エルコラーノ駅から徒歩10分です。看板などのイタリア語表記は「Ercolano Scavi」です。
名前の由来は?
「ヘルクラネウム」の由来は、ギリシャ神話の英雄「ヘラクレス」だと言われています。町の起源を伝える伝説によれば、ヘラクレスは自分の牛を盗んだカークス(鍛冶の神様ウルカヌスの息子)を殺し、その場所にヘルクラネウムの町を建てたと言われています。帝政ローマ初期の歴史家ハリカルナッソスのディオニュシオスも、ヘルクラネウムの起源はイベリア王国から戻ってきたヘラクレスが創設したと考えていました。
エルコラーノ遺跡の歴史は?
ギリシャの地理学者、哲学者、歴史家であるストラボ(Strabo)によると、ヘルクラネウムは最初にオスカン人(Oscans)、次にエトルリア人(Etruscans)、ペラスギ人(Pelasgians)、最後にサムニウム人(Samnites)に支配されていました。
ローマ共和国とイタリアのいくつかの自治同盟国の間で起こったSocial War(同盟者の戦争:紀元前91年〜87年)で、ヘルクラネウムはローマ帝国に反乱を起こしましたが、89年に使節ティトゥス・ディディウスにより鎮圧・征服されました
アウグストゥス帝の時代には、劇場、大聖堂、水道橋、噴水システム、聖域の寺院、郊外浴場、中央浴場など多くの公共建築物が建設されたそうです。
西暦62年にポンペイ地震が起こった際には多くの建物が壊滅的な損傷を受け、時のローマ皇帝ウェスパシアヌスは町の復興のために資金提供を行いました。
ヘルクラネウムの町の大きさは比較的小さく、20ヘクタールの町に約4,000人が住んでいたという仮説があります。現在発掘されているのはその内の4.5ヘクタール、約20%のみ。残りの敷地にはすでに住宅地やビルが建設されているため、発掘は難しい考えられており、発掘作業は一時中止されています。
ベスービオ山の山嶺に位置するこの街は、 現在は海から400メートルほど離れていますが、当時は海に面した崖の上の火山台地に建設され、小さな港町として栄えていました。
エルコラーノ遺跡のチケット
チケットはオンラインまたは当日券を購入します。そしてなぜか、オンライン限定で販売されている年間パスが一日券と同じ金額(13ユーロ)です!私はもちろん年間パスを買いました。
- 公式サイトから年間パスをオンラインで購入
↓ - メールに届いたeチケットを窓口でスマホで提示
↓ - カード式の年間パスと、その日有効の当日券をもらう
↓ - 2回目以降も毎回年間パスを提示し、その日有効の当日券をもらう
このような流れです。カード式の年間パスを紛失すると再発行してもらえないので大切にしてください。私はずっとお財布の中に入れていたら、素材が紙なので1ヶ月後には結構ボロくなってしまいました。
当日券を購入する場合も上記と同じ流れになります。
休憩スペースにはテーブルと椅子が置いてあるだけで、有人のドリンク・軽食の販売はありません。ドリンクやスナックは自動販売機でしか買えないのであらかじめ持って行ったほうが良いです。
無料冊子をもらおう
エルコラーノのチケット窓口には、片手サイズの無料ガイドが用意されていますが、置いてない事もあります。無料冊子はPDFでダウンロードできるので、以下のリンクからダウンロードして、あらかじめスマホやタブレットに保存しておくのがおすすめです。日本語版はありませんが、翻訳アプリを使えば解説は大体理解できます。
翻訳アプリをダウンロードしておこう
遺跡の説明を理解するためには翻訳アプリをダウンロードしておくのがおすすめ。GoogleやDeepLなど、写真からテキストを読み取れるタイプが役立ちます。無料冊子の内容を翻訳したり、敷地内にある博物館の説明(英語とイタリア語)を理解するのに使えます。
受付の建物紹介
敷地内は大きくなく、入口から道なりに200メートルほど歩いて行くとチケットオフィスがある建物に着きます。建物は一つしかないのですぐに分かります。
- チケット窓口
- 有料のオーディオガイド(日本語なし)
- 無料の荷物預かり
- ショップ
遺跡の入口

遺跡の入口です。Ercolano Scavi駅から駅前通りをまっすぐ下っていくと5分ほどで遺跡に到着します。駅前通りには、たばこ屋さん、カフェ、レストラン、ジェラード屋さんなどが並びます。

入口にもオフィスがあり、スタッフがいる時といない時がありますが、ここはチケットオフィスではないので無言で通過して中に進みます。
この通りをまっすぐ進んで左手に見える建物が受付です⬇︎


チケット窓口

建物に入って左手がチケット窓口です。多少並んでいることもありますが、ポンペイほど知名度がない小さな遺跡なので何十分も並ぶことはまずありません。並ぶとしても5分程度です。
スタッフさんは割と態度が悪いですw。こちらが笑顔で話しかけても仏頂面で無言でチケットを渡してきたりします。
無料の荷物預かり


チケット窓口の反対側にあります。荷物の持ち込みについてはポンペイ遺跡よりはゆるそうな雰囲気でした。私はいつもショルダーバックで行っていたので利用したことはないですが、あまり大きなリュックサックやバッグを持っている場合は「預けてください」と言われるかもしれません。利用時間に気を付けてくださいね。
ショップ

建物の奥はショップになっています。何度も行ったので毎回じーっくり見ましたが、私的にはあんまり可愛いものは無かったです。私が行った時はまだ日差しが強かったので帽子(15ユーロ)を買いました。

ガイドブックは各言語で置いてありますが日本語はありませんでした。お土産品は遺跡モチーフのTシャツ、オブジェ、タンブラー、マグカップ、マウスパッド、マグネット、アクセサリー、エコバックなどが販売されていました。





遺跡内の施設紹介
- トイレ1か所(女性、男性、バリアフリー)
- 半屋外の休憩スペース(テーブルと椅子のみ)
- ドリンク、スナックの自動販売機
- 小さな博物館2つ(船の博物館、宝物博物館)
- ゴミ箱
トイレ



2022年11月現在は受付のトイレは閉鎖されており、遺跡内にあるトイレが1箇所のみです。休憩スペースがある建物の裏手にあってちょっと分かりずらいですが、上のサインを探してください。トイレは正直きれいではないですが、つかえないほど汚くもないです。小さな観光地のトイレってこんなものかな…と思います。トイレットペーパーはあります。
休憩スペースと自動販売機




休憩スペースには半屋外で、テーブルと椅子が置いてあるだけで、有人のドリンク・軽食の販売はありません。ドリンクやスナックは自動販売機でしか買えないのであらかじめ持って行ったほうが良いです。一応コーヒーマシンもありましたが使い方が謎でした。
半屋外なので雨が降ると濡れてしまいそうですが、天気が良ければ気持ちいい場所です。遺跡を眺めながら駅前通りで買ったピザを食べるのもいいですね。
船の博物館



遺跡から発掘された船が展示されています。
宝物博物館




意外と充実していて20分くらい滞在した宝物博物館です。遺跡から見つかったお金の山、ユニークなランプやアクセサリーなどがありました。こういった発掘品をしっかり見るならナポリ考古学博物館がおすすめです。
遺跡へ降りる入口



紙チケットをもらったら建物の出口から敷地内へ。入口で紙チケットのバーコードをスキャンして敷地内に入ります。
道なりに左手に進むと小さな博物館が2つあり、博物館の向こう側に遺跡への入口があります。入口がちょっと分かりづらかったので写真を載せておきます。「INGRESSO」の看板が目印です!入口は洞窟になっていて長い下り坂を降りていきます。
遺跡から戻る出口
ポンペイ遺跡と違い、エルコラーノ遺跡は入口と出口が別です。それほど広くない遺跡内なので歩いていれば分かると思いますが、北側にあるこの吊り橋が出口です。この橋の上で写真を撮る人も多いです。

遺跡の見どころ
港の倉庫 – Barrel Arches
冊子番号 1


階段を降りてトンネルをくぐって遺跡に入った後、一番最初に目にするのが「Barrel Arches」という半円筒アーチの部屋が並んでいる場所です。ここは昔、港に隣接した倉庫と船の保管庫でした。現在は立ち入り禁止で、橋の上から一帯を眺めるのみとなりますが、よく見るとアーチの中に骸骨のレプリカが置いてあります。
どうして骸骨かというと、噴火から海に逃げてきた約300人の人々の骸骨が見つかった場所だからです。この場所からは9メートルのローマ製のボート、漕ぎ手や兵士の骸骨も見つかっています。この辺りは当時は海でしたが、ヴェスヴィオ山の火山灰によって陸地になり、海岸線は400メートル遠のいたと言われています。現在の遺跡から海までの距離がちょうど400メートルくらいです。
お金持ちの家 – House of the Deer
冊子番号 8




エルコラーノで1番 or 2番人気の場所。家の入口で入場規制をしていることが多いですが数分並べば入れます。
「犬に襲われた鹿の像」が発見されたことから「House of the Deer (鹿の家)」と呼ばれています。現在発掘されている遺跡の中で一番大きな家で、当時は海を見下ろす風光明媚な一等地にありました。オーシャンビューだったと思われるテラスが特徴です。町の有力者が住んでいたのでしょうね。
お金持ちの家 – House of Relief of Telephus
冊子番号 7


「テーレポスのレリーフ」が見つかったことから「House of Relief of Telephus(テーレポスの家)」と呼ばれています。遺跡の中で2番目に大きな3階建の家です。テーレポスというのはギリシャ神話に登場する王様で、ヘラクレスとアウゲの息子。レリーフは1階の壁に残っていますが、これはレプリカで、オリジナルあナポリの考古学博物館にあります。家の構造はアウグストゥス時代のもので、先述した西暦62年の地震の後に建て直されました。
大きな食堂 – Large Taberna
冊子番号 10

Taberna(タヴェルナ)とは小さなレストランのこと。遺跡の中に幾つかありますが、このお店は通りの角にあって立地抜群。大理石張りの美しいカウンターが目を引きます。大きな壺には食べ物や飲み物が入っていました。食堂の裏には小さな住居があり、オーナーはお店から家に直接出入りすることができました。
ヘルクラネウムの豆知識
知っておくと遺跡めぐりが楽しくなる!エルコラーノ遺跡とローマ遺跡の基礎知識です。
町の由来は「ヘラクレス」
エルコラーノはヘラクレスとゆかりのある街。昔の呼び名「ヘラクラネウム」は「ヘラクレスが建てた町」という伝説から来ています。
3割しか発掘されていない
遺跡内のスタッフさんに聞いたところ、現在発掘されているのは全体の3割程度とのこと。しかし残りの7割は現在の町の下に埋まっているため、発掘が進む見通しは立っていません。
壺が埋まってるのはどうして?
遺跡内にはTabernaと呼ばれていたレストランが幾つかありますが、そこで大きな壺が半分、または丸ごと土の中に埋まっているのを見かけます。スタッフさんに聞いたところ「冷やすため」だそうです。確かに地中に埋めておいた方が食べ物を低温度で保てますよね。でも、壺が地面に埋まっていたら、いちいちしゃがんで長いトングのようなもので食べ物を出したり入れたりしないといけません。それって面倒くさくないですか?とスタッフさんに聞いたところ「当時は奴隷がいたので問題なかったと思います!」との回答でした。な、なるほど・・!
娼婦館はなかった
スタッフさんに、ポンペイ遺跡には娼婦館があったけどエルコラーノ遺跡にもあるの?と聞いてみたところ「エルコラーノはポンペイより裕福な人々が住んでいたのでそういった施設はなかった」と言っていました。